わが家には虫が大好きな小学生の息子がいます。
虫取りをしていると、「かわいそうだから逃がしてあげよう」という言葉を耳にすることがあります。
その言葉を聞くたびに、私は少し考えてしまいます。
たしかに、虫を捕まえない方がいいという考え方もあるでしょう。
私自身も以前は、どちらかというとそう思っていました。
しかし、息子やそのまわりの虫好きな子どもたちを見ているうちに、「捕まえること=悪いこと」と単純には言い切れないと感じるようになりました。
虫を捕まえることと、命を大切にすることは、本当に両立しないのでしょうか。
今回は、虫好きの子どもを育てる親として、「虫取りはかわいそうなのか?」について考えてみたいと思います。
虫取り=かわいそうという人が増えた気がする
息子が虫取りをしていると、「かわいそうだから逃がしてあげて」と言われることがあります。
もちろん、生き物を大切にすることはとても大切です。
ただ、私が子どもの頃は、虫かごの虫を見て「いいのがとれたね!」とは言われても、「かわいそうだから逃がしてあげて」と言われることは、あまりなかったように記憶しています。
当時は、虫かごいっぱいにバッタやセミを入れて歩いている子も珍しくなく、夏休みといえば虫取りというくらい身近な遊びでした。
ところが今は、「捕まえたらすぐ逃がそう」「虫かごに入れるのはかわいそう」という考え方を耳にする機会が増えたように感じます。
その背景には、どのような変化があるのでしょうか。
虫かごへ入れることへの価値観の変化
その背景には、
- 動物福祉や環境保護への意識の高まり
- 生き物と直接触れ合う機会の減少
が関係しているのかもしれない、と私は考えています。
実際、学校で動物を飼育する光景も、以前ほど見られなくなりました。
私が子どもの頃は、インコやウサギ、モルモットなどを幼稚園や小学校で飼育しており、飼育当番になると餌やりや掃除をしていました。
しかし、息子の通う小学校には今もウサギ小屋があるものの、ウサギは随分前から飼われていません。
かつては多くの学校で飼育されていたウサギやニワトリも、飼育管理の負担やアレルギーへの配慮に加え、動物福祉への意識の高まりなどから減っていると言われています。
また、建物が増え、自然が減ったことで、生き物そのものが昔より身近ではなくなりました。
生き物に触れる機会が少なくなった今では、「捕まえる」「飼育する」という行為そのものが、以前より特別なこととして受け止められているのかもしれません。
そうした変化も、「虫取りはかわいそう」という感覚につながっているように感じます。
命を大切にしようという考え方そのものは、昔も今も変わらないはずです。
ただ、その学び方や生き物との関わり方は、時代とともに少しずつ変化しているのかもしれません。
以前は、実際に触れたり世話をしたりする中で命を学ぶ機会が比較的多くありました。
一方で今は、「動物にできるだけ負担をかけないこと」を重視する考え方も広がっています。
どちらも命を大切にしたいという思いから生まれたものですが、そのアプローチには少し違いがあるように感じています。
相手の立場を考える教育が重視されるようになった
昔も今も、子どもの優しい心を育てたいという願いは変わらないと思います。
ただ、近年は「相手の立場を考えること」が以前にも増して重視されるようになったように感じます。
学校でも、「相手はどう感じるだろう」「嫌な思いをしていないだろうか」と考える機会が増えました。
多様な価値観や背景を持つ人を尊重しようという考え方も、以前より広く共有されるようになっています。
その延長線上で、「虫も自由に生きたいかもしれない」「虫かごに入れられたら嫌かもしれない」と考える人が増えているのかもしれません。
実際、「かわいそうだから逃がしてあげよう」という言葉には、生き物への優しさだけでなく、「相手の立場を想像できる子に育ってほしい」という大人の願いも込められているように感じます。
私自身も、その考え方を否定したいわけではありません。
ただ、生き物との関わり方を考える時、「触れないこと」や「捕まえないこと」だけが優しさを育てる方法ではないようにも思うのです。
生き物と関わることで見えてくるものがある
もちろん、虫の立場だけで考えれば、捕まえられない方が幸せなのかもしれません。
私自身も、必要以上の採集は避けたいと思っています。
ただ、「捕まえないこと」だけが命を大切にすることにつながるとは限らないとも感じています。
なぜなら、子どもは実際に生き物と関わる中でしか学べないことがあるからです。
一匹の虫を捕まえることは、その虫にとって負担になるかもしれません。
しかし、その経験を通して命の重さや自然の大切さを知り、生き物を守りたいと思うようになる子どももいます。
目の前の一匹だけを見れば「かわいそう」に見えることでも、長い目で見れば、その子の中に命を大切にする気持ちを育てるきっかけになることがあるのです。
私は、その可能性も大切にしたいと思っています。
虫取りだからこそ学べること
虫取りは遊びであると同時に、学びの機会でもあります。
虫を探し、観察し、ときには飼育する。
そうした経験を通して初めて気づくことがあります。
- 命は思い通りにならないこと
- 生き物を育てるには責任が必要なこと
- 少しの環境の変化で弱ってしまうこと
- 自然の中では多くの命が支え合って生きていること
虫取りや観察、飼育を通して、子どもたちはさまざまなことを知っていきます。
息子も、虫が好きになったことをきっかけに、生態系や環境問題について考えるようになりました。
最初はただ「虫が好き」だっただけなのに、今では「どうしたら自然を守れるのか」を話すことがあります。
もちろん、飼育の中で死なせてしまった虫もいました。
失敗もありました。
それでも、大切に育てていた虫を死なせてしまった経験があったからこそ、命の重さを実感したり、その生き物に適した環境の大切さを理解できたりした部分もあるように思います。
目の前の一匹の虫だけを見れば、虫取りは「かわいそう」と感じる行為かもしれません。
しかし、その経験が将来、生き物や自然を大切にしたいという気持ちにつながるのであれば、虫取りには大きな意味があるのではないでしょうか。
虫好きの子どもたちが、どのように命との向き合い方を学んでいくのかについては、こちらの記事で詳しく書いています。

まとめ|「捕まえる」と「命を大切にする」は両立できる
虫取りは、虫の立場だけで考えれば、かわいそうな面があるのかもしれません。
私自身も、必要以上の採集をしたいとは思いませんし、生き物への配慮は大切だと考えています。
ただ、「捕まえないこと」だけが命を大切にすることにつながるとも限らないように感じています。
実際に虫を探し、観察し、ときには飼育する中で、子どもたちは命の重さや生き物を世話する責任、自然の仕組みについて学んでいきます。
そして、その経験が将来、生き物や自然を大切にしたいという気持ちにつながることもあります。
だから私は、「虫取りはかわいそうか、かわいそうではないか」という二択ではなく、その経験を通して子どもが何を学ぶのかが大切なのではないかと思っています。
虫を捕まえることと、命を大切にすること。
一見すると矛盾しているようにも見えますが、向き合い方次第では両立できるのかもしれません。
そんなことを、虫好きの息子と子どもたちを見ながら感じています。








